成果に責任を持つーという学び

 このコラムの執筆者:細川元

研究室に入るとプロジェクトに参加できる機会が増える。
特にツテがなくても、所属するだけで研究室ごとにやっているプロジェクトには参加する機会が得られるし、先輩や先生との距離も縮まって、そういうツテのプロジェクトにも参加しやすくなる。

個人的に研究室配属後には積極的にプロジェクトに参加してもらうと良いのではないかと思う。

好きにしよう、責任は伴うけど

弊研究室はプロジェクト(の特にリーダー)に関しては結構、放任主義と言うか、とりあえず思うようにやってみるように仕向ける風土である気がする。
手取り足取りではないので、言われたことしか出来ない人は辛いかもしれない。
もちろん、先生も先輩も相談すればいくらでも話を聞いてくれるし、いろいろ打ち返してくれる(し、そういう風土の維持に力を入れているつもりである)。

プロジェクトで学べることは色々あると思うのだが、特にリーダーをやると「成果に責任を持つ」機会を得られる。これは大きな魅力であると思う。

普段の授業課題などは、出さなければ単位を落とすだけであり、成果物に他者の利害は影響しないので基本的には責任を感じることはない。
ところが、プロジェクトは研究室や大学、場合によっては外部の協力者のお金を使うことになる。自分のものではないお金が動くとメチャクチャ責任は重くなる。

決められた時間、お金、人数などの制約の中で最高の成果を出さなければならない。ということをリーダーをすれば少しは考える。(僕は考えた。他のみんなはどうなんだろうか…)

プロジェクトリーダーを経験して

僕自身のプロジェクトリーダーとしての経験を振り返ってみると、まずは、プロジェクトメンバーのみんなに感謝。かなりタイトなスケジュールの中で最大限の成果を出せたと思う。
そして、リーダーは色々大変だったなぁ、とも改めて思う。

大変な中でも成果を出すために色々と試行錯誤していて、例えばプロジェクト後半からは意識的に「暇そう」にしておくことを心がけた。

リーダーになると、全体を引っ張るのはもちろん「その他」の業務を一手に引き受けることになる。そういった雑務もちゃんとやらなければならない。少しでも適当にやると成果に明らかに響くので気を抜けない。

しかしある時にふと、膨大な「その他」の業務で忙しそうなリーダーに何か相談できるだろうか、と考えた。それ以来、メンバーに「忙しそうだから今度にしよう」と思われないように、なるべく暇そうに振る舞うようにした。

結果、コミュニケーション量は増え、意思疎通もスムーズになり、最終的な成果にも良い影響を与えられたと思う。

たらればで恐縮だが、リーダーという経験をしていなければ、メンバーから見てどういうリーダーが良いかを考えることはなかったと思うし、その結果として「暇そうにする」という行動を選択することもなかったと思う。

成果に責任を持つ立場に立つことで、それまで以上に「成果を出すためにリーダーはどうしたら良いか」を考え、実行する機会を得られた。これだけで普段の授業以上の学びを得られている。

もちろん皆が皆リーダーというポジションで参加できるわけではないのだが、プロジェクトには参加することを改めてオススメする。今回はリーダーの視点から書いているが、参加すればリーダーほどじゃなくても責任を持つ学びはあると思う。

おまけ

デザインの扱う領域が拡がり、特にプロジェクトリーダーなど、上流としての役割を求められたときに「メンバーの力をどうやって引き出すか」は正解のない難しいテーマだし、リーダーごとにアプローチもそれぞれだと思う。

音楽におけるフィーチャリングも相手の力を最大限引き出すことだと言うのは、フィーチャリングという形式を日本に根付かせたm-floのVERBAL。
デザインと音楽、ジャンルは違えど彼から学べることもあるかも…。

VERBAL『フィーチャリング力』